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1,日本签署投降书的具体时间

1945年9月2日

日本签署投降书的具体时间

2,日本的投降协议书名称叫什么

无条件投降书文本。

日本的投降协议书名称叫什么

3,日本投降书在哪

中国的在WW的中山纪念堂,公开展览的。

日本投降书在哪

4,哪一年哪一月哪一日日本无条件投降

1945年9月2日,日本正式签署投降书。
1945年8月15日日本宣布无条件投降。

5,日本投降签订的什么条约

二战后同盟国签订《菠茨坦公告》要求日本投降,但是日本拒绝投降。 1945年8月15日中午,日本天皇裕仁广播《停战诏书》,宣布接受《波茨坦公告》所规定的各项条件,无条件投降。同年9月2日在美国的太平洋上的“密苏里”军舰上签订了投降书,对同盟国正式提交投降书。 由此来看日本投降的标志事件中,所签订的条约应该是《菠茨坦公告》。

6,日本为什么投降

第一,长期的战争消耗本来就不充足的国力,导致国内经济崩盘;第二,中国战场的局势过于僵持复杂,导致日本军力无法稳定长久控制占领地区;第三,国际反法西斯战争盟军欧洲大陆结束战事,以美、苏为代表的盟军开始从中国东北战场、东南亚战场、太平洋战场以及日本本土对日本进行强力的打击。日本无条件投降日是指1945年8月15日正午,日本裕仁天皇向全日本广播,接受波茨坦公告、实行无条件投降,结束战争。1945年8月21日今井武夫飞抵芷江洽降。1945年9月2日上午9时,标志着二战结束的日本投降签字仪式,在停泊在东京湾的密苏里号主甲板上举行。代表日本天皇和政府的日本新任外相重光葵和代表日本帝国大本营的陆军参谋长梅津美治郎依次在投降书上签字;1945年9月9日9时,南京中央陆军军官学校大礼堂举行第二次世界大战中国战区受降仪式,代表日本侵华日军总司令冈村宁次正式向代表中华民国政府陆军总司令何应钦呈交投降书。日本宣布无条件投降。1945年10月25日,中华民国政府在台湾举行受降仪式,这成为抗日战争取得完全胜利的重要标志。

7,日本投降诏书

译文: 朕深鉴於世界大势及帝国之现状,欲采取非常之措施,收拾时局,兹告尔等臣民:朕已饬令帝国政府通告美、英、中、苏四国,愿接受其联合公告。 盖谋求帝国臣民之康宁,同享万邦公荣之乐,斯乃皇祖皇宗之遗范,亦为朕所眷眷不忘者。前者,帝国之所以向美、英两国宣战,实亦为希求帝国之自存於东亚之安定而出此,至如排斥他国之主权,侵犯他国之领土,固非朕之本志。然交战已阅四载,虽陆海将兵勇敢善战,百官有司励精图治,一亿众庶克已奉公,各尽所能,而战局并未好转,世界大势亦不利於我。加之,敌方最近使用残酷之炸弹,频杀无辜,惨害所及,实难逆料。如仍继续作战,则不仅导致我民族之灭亡,并将破坏人类之文明。如此,则朕将何以保全亿兆赤子,陈谢於皇祖皇索之神灵乎! 此朕所以饬帝国政府接受联合公告者也。 朕对于始终与帝国同为东亚解放而努力之诸盟邦,不得不深表遗憾;念及帝国臣民之死于战阵,殉于职守,毙於非命者及其遗属,则五脏为之俱裂;至於负战伤,蒙战祸,失家业者之生计,亦朕所深为轸念者也。今后帝国所受之苦固非寻常,朕亦深知尔等臣民之衷情,然时运之所趋,朕欲忍所难忍,耐所难耐,以为万世之太平。 此朕所以饬帝国政府接受联合公告者也。朕于兹得以维护国体,信倚尔等忠良臣民之赤诚,并常与尔等臣民同在。若夫为情所激,妄滋事端,或者同胞互相排挤,扰乱时局,因而迷误大道,失信义於世界,此朕所深戒。宜举国一致,子孙相传,确信神州之不灭。念任重而道远,倾全力於将来之建设,笃守道义,坚定志操,誓必发扬国体之精华,不致落后於世界之进化。望尔等臣民善体朕意。 日文今文: 私(昭和天皇)は、深く世界情势と日本国の现状とを考虑して、非常の措置によって事态を収拾しようと考えて、ここに、忠良なあなた方日本国民に诉える。私は、日本国政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソ连に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受诺する旨を通告させた。日本国民の平和と安宁をはかり、世界との共栄を喜びとすることは、代々の天皇の遗范であって、私も常々心にとどめてきたことである。先に、アメリカとイギリスの2か国に対して宣戦したのは、ただ日本国の存続とアジアの安定とを愿ったためであり、ポツダム宣言に书かれているような他国の主権を排除して领土を侵すというようなことは、もとより私の考えていたことではない。しかしながら、戦争がすでに4年を経过した今、わが国の陆海军の将兵の勇戦、多数の官吏のの励精、一亿国民の奉公、いずれもが最善をつくしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界情势は我々にとって有利ではなく、さらに敌は新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない市民を频繁に杀伤し、惨害がおよんだところはまことに测リ知れないほどになった。これ以上戦争を継続しようとすれば、ついには、我が民族の灭亡を招くのみならず、ひいては人类の文明までも破壊されるだろう。そのようになったら、亿兆もの赤子とも言うべき日本国民の命をあずかっている私は、どのようにして代々の天皇に谢罪すればよいだろうか。これが、わたし日本国政府に対し共同宣言に応じるようにさせた理由である。私は、日本国とともに、终始アジアの帝国列强からの解放に协力してきた诸国に対し、遗憾の意を表さざるを得ない。日本国国民で戦场で戦死しした军人、职场で殉职しした官吏、戦火にたおれた市民やその遗族に想いをめぐらすと、わが身が引き裂かれるほどであり、また、戦伤を负い、灾祸をこうむり、职を失った人々の再起については、私が深く心配している所である。思えば、今后、日本国が受けるであろう苦难は、非常に大変なものである。あなた方国民の降伏に対する无念も、私はよく理解している。しかし、私は、事态の趋势に従い、堪えがたいことを堪え、忍びがたいことを忍んで、将来のために平和への道を选んだのである。私はここに、国体を护持することができて、忠良なあなた方国民の忠诚を信頼し、常にあなた方国民とともにある。もし激情のおもむくままに无用の混乱を引き起こしたり、あるいは同胞に対して分裂して争うなどして时局を乱し、そのために大道を误り、信用を世界に失うようなことは、私が最も强く戒めることであり、国民皆が子孙にいたるまでも神州(日本)の不灭を固く信じ、个々に课せられた责任の重さと今后の长い道のりを自覚し、総力を将来の建设に倾け、道义を重んじ志操をかたくし、必ず国体の精华を発扬し、世界の発展におくれることのないよう努めるべきである。あなた方国民は以上のような私の意思を理解し従ってほしい。

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